日本人人質殺害について

覚悟の無い人間が、
無計画に行動を起こすことは
無謀で、愚かな行為だ。
その結果、自分にその行為の代償が
降り掛かってしまうのは
必然であり、不可避であろう。
死というのはその中でも
最悪の結末ではあるが。
しかし、彼は最悪の結果を自分自身で受容する事によって
自己完結し、異国でその生涯を終えた。
だからこそ、ふと思う。
彼は馬鹿だ。
しかし人間的馬鹿だ。
思想に凝り固まり、視野が狭くなっている
狂信的な人間より
好奇心だけで危険地帯をうろつくような馬鹿こそ
救うべきだったのではないか。
自分の力量を過大評価し、
世の中を変えてみせるという幻想の元、
周囲を省みず、周囲に迷惑をかけるであろう事を
分っていながら行動を起こした
以前の三人組よりはきっと
随分人間的で、同情できる。
こういうケースに対してこそもっと政府は
救出に全力を挙げるべきではなかったか。
私は彼が恐縮しつつも恥ずかしそうに、
馬鹿元気な顔で記者会見に応じる姿を
見たかった。

姫神死す

残念だ。
最近とんとご無沙汰だったが、亡くなった事を知り
ちょっとばかりショックであった。
高校時代、今よりずっと繊細で過敏だった私は
エロと人間不信と精神分析に拘泥し、かなり情緒不安定であった。
何かこの精神状態から脱出する術はないかと
彼の楽曲に救いを求めてみたものだった。
一瞬癒された気持ちになったような気がして、
聴いた後10分位は落ち着いていた気がする。
海外の評価も高かっただけに残念である。

結局私は童貞を捨て、エロのみに走った事で
救われたのだが。

ミキシ

ご存知の方、多いとは思うが
私はまったくこんな世界がある事を
ついぞ、昨日まで知らなかった。
閉鎖的、且つ淫靡な空気感が漂う
このソーシャルネットワークシステムという物は
健全にも、不健全にも機能するのであろう。
元来、他人を拒絶しがちな私が
上手くやっていけるのか、些か不安ではあるが
この日記と平行して細々と書いていこうと思う。

馬鹿新聞

中央紙の偏った報道はよく言えば個性であり、
そのカラーである。
しかし、どれだけ大きな事件や政治的問題があっても
自社主催の自己満足イベントに一面トップ、社会面の7割
更には文化面まで割いて掲載するわが国の新聞、
北國新聞にはウンザリだ。
こういう紙面を構成させられている記者達は
自分達の仕事にプライドを見出せているのだろうか。
最早、こんな新聞は報道ではない。
壁新聞として見る分には結構面白いのかもしれない。
どこの地方紙もこんな物なんだろうか。

プロ野球

私ははっきり言って野球をするのが苦手だ。
というよりもド下手なのである。
だからこそ野球を観ることが大好きであるのだが
ここ最近の騒動には辟易する。
楽天ライブドアナベツネ、中内、堤、連合などの
魑魅魍魎が跳梁跋扈しシンプルさゼロである。
長く続いたシステムの中でのしがらみや慣習を
今更、完全浄化し再構築なんて出来るわけはない。
高校野球に至っては、朝日新聞高野連が囲い込んで
さわやかさなんて無いし、
プロアマの泥沼の利権争いがあからさま過ぎて
観る気がしない。
キューバみたいなナショナルチームを頂点とした
完全ピラミッド構造で敵は外国、というのが理想だが
そんなのは社会主義国家の欺瞞であり
スポーツではない。
マスメディアが絡む限りは純粋なスポーツというのは存在し得ない。
かといってメディアがなければ資本主義においては発展は無い。
結局全ては妥協と容認に基づいた
ファン側の諦めが今最も必要なことなのかもしれない。

天才・劇団ひとり

s-ura2004-09-26

私が今最も好きな芸人は、
間違いなく劇団ひとりである。
今までに好きなった芸人の名を列挙するのは
真に気が引けるのだが、
ルー大柴柳沢慎吾大川総裁藤井隆などである。
共通するのは所謂、「濃い」芸人であるが、彼等は
濃いだけでなく、単独で起承転結を構成し
滑っても最終的には誰の協力も、ツッコミもなしで
強引に笑いを取るのだ。
技術ではない。
根本に笑いという物を否定し、
自己の中で様々なジレンマを消化した上での笑いだからおもしろい。
劇団ひとりは、米国で過していたとは思えない泥臭さを醸し出し、
お洒落でもなければモノマネも出来ず
妄想に基づいたウソ悔し涙を流すだけの芸のない芸人だが
本人がテレビで楽しそうに笑いを取っているとは思えない。
きっと自分以外の全てを馬鹿にしているのだろう。
長井秀和とか青木さやか等の浅い毒ではない。
根が深い自然と滲み出て来る毒が、私を猛烈に刺激し
琴線に触れるのだろう。
人間、病んでいる時は全てを疑心暗鬼な視線で見てしまうから
こんな事を勝手に考えてしまうのかもしれないが。